2011年の今日、Facebookに載せた写真が出てきた。
写真は、東京から広島の過疎が進む豪雪地帯の山里、北広島町芸北に移住した直後の我が家の夕飯風景です。見事にほとんど現地調達の食材で作った素朴な夕飯です。あっという間に子供達は大学生になりました。懐かしいです。子供達は猪や鹿の肉の方が圧倒的に牛や豚や鶏の肉より多いおかずを食べて育ちました。
 思えば移住直後は、あまりの寒さにミチは低体温症になって起き上がれなくなったり、子供達も手足がシモヤケだらけになりながら、4キロ近くの雪道を登下校してました。僕も雪かきで毎日ヘトヘトでした。
 最初の1年間、僕は東京のオフィスと広島を行き来していましたが、2012年には本社を芸北に完全に移しました。僕は田舎と都会と世界をあちこち行き来していたので、それらをバランスよく対比できてストレスもありませんでしたが、ミチはずっと知り合いが全くいない村で家庭を必死に守っていました。心細い思いをさせていたと思います。子供達は大きな小学校からいきなり学年全員でも数人しかいない小学校で、複式学級でスキーや竹馬、剣道などの授業に必死に挑戦していました。
 あいかわらずスリランカに数ヶ月に一度、半月ほど一人で出張していましたが、僕の長期出張中に、カミサンが意地悪な地元の有力者ジジイに「住めんようにしちゃるけえの」などと脅されて、密かに泣きべそをかいていたのを後で聞き出し、猛烈な勢いで文句を言いに乗り込み、その後は数年にわたる戦いが始まり、大きな喧嘩を数回やりましたが、今ではその有力者ジジイもすっかり元気がなくなり、もやは陰口くらいしか言わなくなってしまい、逆に少し寂しくなり、元気に長生きしてほしいと思うこともあります。
 所属している集落の長老達には今でも本当の家族のように良くしてもらっています。いつでもいきなり訪ねてもコタツに入れてくれますし、遠方から誰か僕のお客さんが来た時に連れて行っても、僕がいいカッコができるようにと大歓迎してくれます。元気で変わらず長生きしてほしいと心から思います。できれば100歳くらいまで元気でいてくれたらありがたいです。僕がいつも「近いうちに必ず実現する!」と話せば「そうかやれやれ」と言ってくれる、いくつかの野心的なプランを、実際に実現して結果を出すところまで見届けてほしいです。
 あっという間の10年でしたが、それらの話を本にするために、毎晩執筆を進めています。前回のウンセカ同様、今回も全ては実話ではありますが、読んだときに、ストーリーに類似する人物を見つけて「ワシのことか!」と思う方がいるかもしれません。しかしそれは偶然に過ぎないので気にしないで頂きたい。チェリオ
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